【『風太郎不戦日記』最終回目前特別記事】 戦争の記憶を“再起動”するということ
21/08/25
『風太郎不戦日記』で描いてきた1945年(昭和20)も、残すところあとわずか。そこで、この漫画の意義を振り返ろうと、編集部は東京大学の渡邉英徳教授を訪ねました。
渡邉氏はAIによる白黒写真のカラー化、『風太郎不戦日記』は漫画という手段で、それぞれが戦時中や戦後の日本を、令和の時代に「再現」しているということで、もしや共通している?……という思い込みに端を発した企画です。
※「モーニング」2021年24号および32号巻頭カラーに掲載された記事をウェブ用に再構成しました。
雑誌掲載時ページデザイン=名和田耕平デザイン事務所
公式サイト掲載時デザイン=モーニング編集部
取材・文=モーニング編集部
——渡邉先生は、日々カラー化した古い写真をツイートしています。その狙いはどこにあるのでしょうか。
渡邉英徳(以下、渡邉) 過去の有名な出来事の合間に、日々何があったかを知ってもらいたいという思いで、ツイートを続けています。たいていは名も知らぬ方が撮った写真なので、その方の代理のつもりで発信をしていますが、写真をカラー化するという行為は、もしかしたら山田風太郎の日記を漫画にすることと似ているかもしれません。
——本作との共通点はどこに感じますか。
渡邉 白黒の写真に色がつくことで、自分とは遠く離れたものとして捉えていた過去の出来事が、身近に感じられるようになります。“自分ごと”になるわけです。
昭和20年3月の焼け跡で入浴する男性の写真があります。空襲がもはや日常の一部になった時期です。この年はどうしても3月10日の東京大空襲にフォーカスしがちです。長い時間軸の中では、大きな出来事だけがメモリーされ、その合間に起きたことは忘却されます。そんな歴史の影に埋もれそうな写真をカラー化することで、その場所の“体温”を感じられるようになります。写真の男性は本当に気持ちよさそうですよね。空襲後の東京からは真っ黒な焼け跡しかイメージできませんが、実際にはそこで市民の生活が営まれていたことを、この写真がよく表しています。
渡邉 カラー化のミッションは2つあります。まずは前述のとおり、過去を身近に感じてもらい、対話を生み出すこと。もう一つは特定のイデオロギーに拠らずに、個人が経験した歴史を継承していくということです。
下の写真は、東京で山の手空襲*1が起きる直前、沖縄戦で街が破壊されている同じころに、アメリカで撮られたものです。余裕がなくなると人は他者を排斥し、不寛容になる。その典型です。その後、社会はバージョンアップしたはずが、コロナ禍の今もこれを繰り返しています。写真をカラー化したことで、見えてくる“相”が今も昔も似ていることがわかりました。
- ※1 1945年5月25日、東京の渋谷や青山、目黒などを襲った空襲。3600人もの死者が出た(『風太郎不戦日記』第6話~第7話参照)
渡邉 『風太郎不戦日記』にも同様のエピソードがありました。行列に割り込むおばさんには眉を顰めるのに、若い女性には順番を譲る風太郎。彼はその不寛容を理性的に内省していましたが、起こした行動は取り戻せない。家に落書きをしたアメリカ市民も、きっとそうだったのではないかという想像が、カラー化をすることで膨らみます。こうした当時の市民の姿から、私たちは学ぶべきことがあると思っています
渡邉 写真のカラー化から始まる対話があります。対話によって、出来事についての記憶が蘇り、聞き手の中に息づく。世界中にそうした人が増えることで、個々の記憶が共同記憶として継承されていく。この「記憶の解凍」プロジェクトは“過去”を俯瞰的・鳥瞰的に捉えて取り組む私と、広島出身の若者として、戦争体験者と直接対話しながら“個人の歴史”を継承する大学生の庭田杏珠*2さんのコラボレーションです。
- ※2 2001年、広島県生まれ。東京大学在学中。2017年、中島地区(現・広島平和記念公園)に生家のあった濵井德三氏と出会い「記憶の解凍」の活動を始める。
渡邉 これは私がアメリカで2016年に入手した写真です。「原爆投下1年後の広島」とメモされていましたが、写っている二人の素性などは不明でした。2018年になり、カラー化した写真をツイートすると数万RTもされ大きな反響を呼び、共同通信社が撮影したこと、現存する福屋デパートの屋上であることなどが判明しました。2020年にこの写真を書籍に掲載したところ、驚いたことに庭田さんの恩師を通して、カップル写真の男性・川上清さん(91)が「これはわしじゃないかな」と名乗り出たことを知りました。
庭田さんがその後、川上さんの自宅で何度も聞き取りを繰り返し、色を再補正していきました。私は当初、ある意味では報道の意図を汲み、希望を感じさせる明るめの色をつけていました。「焼け跡に芽生えた希望」といったイメージです。しかし川上さんによると、煙が立ち上っているような黒っぽい景色であり、自宅の方を眺め、亡くなった友人をしのんでいたとのこと。もちろん“実際の色”を知る術はもうないのですが、川上さんの“記憶の色”はこうなんだと。カラー化することから対話が生まれ、それを未来へ繋ぐことになったのです。
歴史上の新事実が発見されたという大げさな話ではないけれど、カップルの素性が判明したことは「記憶の解凍」の白眉です。
【第9話】 風太郎たちが長野県天竜峡の写真館で記念写真を撮るシーン
最後にお願い! 渡邉先生、この写真 をカラー化してもらえませんか?(編集部)
はい、わかりました。貴重な写真をお預かりします!(渡邉氏)
AIにより、風太郎青年を身近に感じることができるかどうか——。
カラー化した写真を公開!
「昭和20年の山田風太郎をカラー化する」ミッションを終えて
渡邉 AIによる自動カラー化ののち、制服の色が「黒」であるとの情報に基づいて、手作業で色補正を施していったん仕上げました。たとえば帽子の徽章、ボタンの色などは、同時代の他の大学のものを参考にしていますが、実際のところは不明でしたので、あいまいなままでした。その直後、編集部から「東京医大の当時の制服規定を見つけました!」との報せが。絶妙なタイミングに驚きつつ、資料をもとに制服の色を再調整していきました。その成果が、皆さんが誌面でご覧になっているバージョンです。「“ストック”されていた白黒写真のカラー化によって“フロー”が生まれ、資料の価値が高められた」という今回の一連の流れは、まさに「記憶の解凍」です。
この企画を通して、過去の貴重な資料と記憶が未来に継承されていくきっかけが生まれたことを、本当に嬉しく思っています。
山田風太郎にゆかりのある方々に聞く 色が蘇った写真を見て、ひと言
「有名な昭和20年7月26日の写真ですね。撮影場所は天竜峡駅前の写真館。『戦中派不戦日記』によると、この夜ゴーゴリの『外套』を読んだそうです。この約3週間後に敗戦を迎えることになると思うと……。瑞々しくカラー化されたお写真に、感無量と申すよりありません」
「突き通すような彼のまなざしの前では、私たちのどんな言葉も、後知恵の無力さを露呈させてしまいそうだ。迫りくる民族の滅亡、絶対の死を見据え、不敵に輝く青年の眼。だが、彼の眼は敗戦を超えて生き続け、彼の筆は走り続けた。彼の物語は、私たちを支え、生きることの尊厳と、生きることの楽しみを教えてくれた。山田風太郎は、永遠に死なない」
「学生たちの熱意溢れる眼差しが、色鮮やかに当時の思いを呼びかけます。現代に蘇った風太郎たちの存在を身近に感じます」
「モノクロ写真では70数年前の過去の若者たちが、カラー化によってあたかも現在に蘇ったかのようです。今にも動き出しそうな躍動感に溢れ、温かい血が脈打っているようにさえ感じられます。改めてAIを駆使した技術の素晴らしさを実感しました。この実例を見せられると、カラー化してみたい風太郎の写真がアレコレと浮かびます」
今回、編集部はカラー化された写真を、都内にお住まいの山田風太郎夫人・啓子氏と、長女・佳織氏に見ていただきました。実は漫画『風太郎不戦日記』の第8話に、啓子さんが登場していたことに、皆さんは気づいたでしょうか。空襲で焼けた東京をあとにした山田青年は、山形県鶴岡市にある高須夫人の実家に身を寄せます。そこにいた可愛い女学生が何を隠そう、その後「山田風太郎夫人」となる啓子さんでした。昭和20年5月。この写真が撮られる2ヵ月ほど前に、当時の山田青年に会ったことは、今でも記憶にあるそうです。
——昭和20年の山田青年に初めて会った印象
啓子 この写真より少しやせていたような気がします。そして、10も年上でしたからね。お兄さんって感じでしたね。
——当時の風太郎さんといえば
啓子 毎日欠かさず本を読んでいた印象はありました。私には伯父がいるんですけど(勇太郎さん)、戦後には伯父を訪ねてしょっちゅう山形に来ていたことを思い出します。叔父のことは本当に好きだったようです。
——この時、風太郎さんは23歳。啓子さんは13歳
佳織 13歳の女学生を見て、本当にときめいたのかな……って。信じがたいですよね(笑)。
——色がついた、若き風太郎さんを見て
佳織 とにかく、この技術にビックリしました。質感が出ますね。意外にちょっとぷっくらしてますね。もっと頰がコケた写真も見たことあるので……色がついたことで元気そうに見えますね。
漫画家・里中満智子が語る『風太郎不戦日記』。里中氏は2015年から始まったプロジェクト「これも学習マンガだ!」(主催 一般社団法人マンガナイト)の選書委員として、2020年の戦争ジャンル作品に本作を選んでくださいました。
——『風太郎不戦日記』の第一印象
里中満智子(以下、里中) 戦時中を舞台に、と考えると、どうしても世の中が戦争一色に染まっているように捉えることが多いですが、『風太郎不戦日記』の第1話での銭湯のシーンを見て「ああ、そうか」と、目からウロコが落ちました。私自身、戦争を知らない団塊の世代ですが、幼いころ大人たちが口をそろえて「あの戦争は失敗だった」「アメリカに勝てるわけがない」とわかったように話していた記憶があります。子供心に、「戦争はごく一部の人の声により、突き進んだと思う方が簡単」ということはわかっていましたね。とはいえ、漫画家になって女性の視点で戦争をテーマに作品を描いてみると、やはり平常心では描けませんでした。実体験のない私は、戦争=非常事態という認識で描いていましたので、この漫画からにじみ出ている体験者ならではの「生の生活感覚」を味わい、語弊はありますがワクワクしたし、面白かったです。
——本作を「学習マンガだ!」と思った理由
里中 子供のころ、知ったつもりでいたことが、大人になると「実は知らなかった」ということに気づきます。固定観念を捨てて、多角的に物事を見るようにすることで、多くの気づきを得ます。76年前の戦争に関して言えば、戦争を愚かな行為と決めつけると、そこから先への進歩が生まれない。自己防衛として当時を否定するようなごまかしばかりでは、何も真実が見えてこない。だからこそ、あの時代に皆が本心で何を考えていたか、ということがきっちり描かれている『風太郎不戦日記』を読むと、新たな発見を得ることができます。コロナ禍の現在、出どころのはっきりしない情報に振り回されて、いたずらに恐れすぎたり、自分を部外者に置こうとしたり、いろいろな心の動きが見られます。そんな時代だからこそ、適当にやっているように見えてもそれを自覚しつつ、全部人のせいにしないような生き方をしている風太郎に注目してもらいたいですね。特に悩める思春期の皆さんに読んでもらいたいです。
——戦争をテーマにした漫画に思うこと
里中 中学生の頃、「戦争の記録は男性ばかりだが、女性は一体何をしていたんだろう」と気になり始め、前述の通り漫画家になって戦争をテーマに何作も描きました。女性の眼から見た戦争を、ですね。こうして描き残していくことも「歴史」なんですよね。歴史とは「世の中こういうふうに決めました」ということを箇条書きに年表に残していくこと。その隙間に何があるかは一人一人違うわけです。あの戦争の時代でも一人一人は全然違う。それを丁寧に描いていくのが戦争漫画の役割なのではと。『風太郎不戦日記』は、冒頭から風太郎のとぼけた表情や仕草に惹かれましたが、そういう「戦争」もぜひ読んでほしいと思いました。漫画の技術的にも、緩急をつけた画面作り、情景を読者の皆さんに理解してもらいやすいコマ割りや構図になっていて、すごく考えて描かれている。映画的な画面作り、ですね。これが作品の重みを生み出していると思います。そういう点からもオススメです。
勝田文によるコミカライズ『風太郎不戦日記』完結③巻絶賛発売中!
山田誠也、のちに「忍法帖」シリーズでその地位を確立する大作家・山田風太郎は、昭和20年、医学生として東京にいた。
時は太平洋戦争末期、同世代の若者は、みな戦地へ。しかし体調不良で召集を見送られた誠也は、お国のために体を張れない葛藤を抱えながら、日々を送っていた。
そんな彼が当時の世間を、そして日本をどう見ていたか。克明に綴られた日記を、令和の今だからこそ、コミカライズ。
最終3巻で描くのは、敗戦から12月まで。なぜ日本は負けたのか? 日本がこれから進むべき道は? 世の中の変化に戸惑いながら敗戦後の日々を過ごす山田青年を、個性派漫画家・勝田文がユーモアを交えて描きます。