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【やきもんロワイヤル副読編 ~やきものこぼれ話~】 第3回「やきもの黄金時代がやってきた」

20/07/22
月刊「モーニング・ツー」(毎月22日頃発売)にて、竹谷州史氏が描くやきもの擬人化コメディ『やきもんロワイヤル』。
この作品の監修を務める日本美術ライターの橋本麻里さんに、やきもの知識満載のコラムをお願いしました。
毎月これを読めば『やきもんロワイヤル』がさらに楽しめるようになること請け合い!第1回 第2回
 中世に入ると、一般の人々が使うような、陶製の食膳具(碗・皿)、土製の煮炊にたき(釜・鍋)、そして広域に流通した陶製の貯蔵・調理具かめ・壺・すり鉢)といった土器・陶磁器の急速な需要増を受けて、六古窯ろっこようをはじめとする地方の窯は大いに発展した。しかし、14世紀以降、これらの窯は廃れてしまうところ、さらに発展していく窯とに分かれていく。そして、桃山時代、日本の陶磁史上最大のターニングポイントが訪れるのだ。
 六古窯の中でも中国渡来、いわゆる「唐物からもの」尊重の価値感を背景に、中国陶磁を写した高級施釉せゆう陶器をつくり続けていたほぼ唯一の窯が、瀬戸せとである。プロダクトは日用品から奢侈しゃし品まで幅広かったが、その中でも陶製の茶道具——茶陶ちゃとうはひときわ重要視されていた。
 日本に茶がもたらされたのは、奈良時代にまでさかのぼる。当初は薬として、やがて貴族や僧侶たちが飲用、贈答に用いるようになった。平安時代末期頃から、茶の粉末を蒸してつき固めた固形茶の、茶葉を削って粉砕し、湯で煮出し、塩で調味して飲む煎茶せんちゃ法の他に、新たに固形茶を粉にして湯を注ぎ、かき混ぜて服用する点茶法が導入される。鎌倉時代になると武家へも茶は広がっていった。室町時代には会所の茶(客殿や社交の場で行われた喫茶きっさ。中国から舶載はくさいされた唐物を賞翫しょうがんしたり、連歌や宴と共に喫茶を楽しんだ)が成立。武家の間で唐物の賞翫、闘茶とうちゃ(茶の味と香りをテイスティングして産地を当てる遊び。唐物を商品とする賭博と結びついて武家の間で大流行し、幕府から禁令が出された)が楽しまれる一方、庶民層へも、一服一銭いっぷくいっせんなど簡易な茶が広がりを見せるようになっていく。
 瀬戸では14世紀頃に茶褐色の鉄釉てつゆうを完成させ、中国の茶入ちゃいれ、茶壺、茶碗などを写した陶器をつくっていた。だがこうした和物の茶陶は当初、表舞台では用いられていない。足利将軍家が富と権力、さらに文化の力を掌握していることを誇示するために使用していたのである。応永おうえい15年(1408)3月、後小松ごこまつ天皇を北山第に迎えた際の記録『北山殿行幸記きたやまどのぎょうこうき』には、以下のように記されている。
「西東二所に御座しきをもうけられて、くさぐさのたから物数をつくしてたてまつり給、からゑ、花ひん、かうろ、ひやうふなとのかさりはつねのことなり、から国にてたにも、なをありかたき物ともを、ここはとあつめられたれは、めもかかやき、心もことはもをよはすそありける」
 足利義満は東西2ヵ所に設けた座敷に、数を尽くしてコレクションをしつらえさせた。唐絵からえ、花瓶、香炉、屏風びょうぶなどは「常のごとく」、中国でも珍重される文物ぶんぶつを、この時にためにと集めた様子は、目にも眩しく、心も言葉も陶酔する心地であった、とある。
 しかし16世紀中頃、風向きが変わる。経済力を持つ上層の庶民である町衆の間で、会所の茶とは異なる草庵そうあんの茶が盛んになっていく過程で、唐物の価値は認めつつ、それ以外にも美を見出そうとする動きが起こるのだ。冷え、み、び、枯れという、主に連歌など文芸の中で醸成された新しい美意識が、茶の湯の中に流れ込んだ。
 『松屋会記まつやかいき』『天王寺屋会記てんのうじやかいき』など、茶会・茶事の最も古い記録に残る和物の茶陶は、天文てんぶん11年(1542)信楽水指しがらきみずさしである。本来、茶道具としてつくられたのではない、日常の雑器を茶道具に「見立てる」という、ラディカルな行為も既に始まっていた。茶碗では天文18年(1549)、瀬戸・美濃窯みのよう産と考えられる写しものの天目てんもく茶碗が登場している。
油滴ゆてき天目 南宋時代・13世紀、高7.0╳口径12.6cm、九州国立博物館蔵、重文
黒釉こくゆう天目 室町時代・16世紀、高6.9╳口径11.8╳高台径4.0cm、東京国立博物館蔵
草庵そうあんの茶へ向かう流れを集大成し、日本独自の「わび茶」を確立したのが、千利休せんのりきゅう(1522~1591)である。それまで尊重されてきた中国、朝鮮半島の茶陶を踏まえつつも、いわば「現代美術」としての茶の湯にふさわしい茶陶として、陶工・長次郎ちょうじろうを指導して焼かせた「今焼いまやき茶碗」、いわゆるらく茶碗を創造した。
長次郎 黒楽茶碗 銘 尼寺あまでら 桃山時代・16世紀、高8.2╳口径10.3╳高台径5.0cm、松永安左エ門氏寄贈、東京国立博物館蔵
 楽焼は低めの温度で焼かれる軟質の施釉陶器で、朝鮮半島の茶碗高麗こうらい茶碗)には既にあった半筒形の形状を、ろくろは使わず粘土の塊からヘラで削り出し、赤と黒の釉薬ゆうやく高台こうだいまでかけて小規模のかま焼成しょうせいする。
 釉薬、成型方法から窯の形態まで、先行して茶碗をつくっていた瀬戸~美濃の窯とは、大きく異なっていた。天正てんしょう14年(1586)、『松屋会記』に「宗易そうえき形の茶碗」(宗易は利休の法号)という語が登場して以降、茶会記の中の「今焼茶碗」「セト茶碗」の記述が急速に増えていく。
 同じ頃、瀬戸に隣接する美濃の窯では、黄瀬戸きぜと(黄釉をかけ、しっとりと潤いのある、いわゆる「油揚げ肌」を特徴とする)の食器がつくられ始めた。
黄瀬戸桐文銅鑼鉢きせときりもんどらばち 桃山~江戸時代・16~17世紀、高6.3╳口径17.3╳底径9.2cm、松永安左エ門氏寄贈、東京国立博物館蔵
 それまで瀬戸・美濃窯が生産していた青磁せいじ写し、白磁はくじ写し、染付そめつけ写しなど、輸入の磁器を写した食器とはまったく異なる、蓋物ふたもの平鉢ひらばち向附むこうづけといった、新しい形状の食器類だ。技術的には華南三彩かなんさんさいと呼ばれる、中国南部にルーツを持つ三彩陶器の影響を受けてはいるが、それ以前の模倣が同じ形、同じ色、同じ造形を目指していたのに対して、舶来の技術を元に、新しい表現へと大きく踏み出している。そして豊かな色彩と加飾を施した器が、膳を華やがせるようになっていくのである。
三彩牡丹唐草文壺さんさいぼたんからくさもんつぼ 明時代・16世紀、高29.0╳口径17.2╳底径17.0cm、東京国立博物館蔵
 続いて美濃窯では志野しの、そして遠く離れた九州では唐津窯からつようで、器の表面に絵を描く「下絵付け」の技法が盛んになる。
志野茶碗しのちゃわん 銘 橋姫はしひめ 桃山~江戸時代・16~17世紀、高11.5╳口径(12.6╳11.5)╳高台径7.6cm、松永安左エ門氏寄贈、東京国立博物館蔵
銹絵草花文大鉢さびえそうかもんおおばち 江戸時代・17世紀、高12.2╳口径36.5╳底径10.3cm、東京国立博物館蔵
 それまで表面の加飾といえば、彫り刻んだり、印をすばかりで、絵を描くことはなく、これも日本の陶磁史上、初めての展開であった。
 他方、釉薬を用いない焼締陶やきしめとうでは、絵とは違う形の表現が追求された。備前焼びぜんやきでは、もともと重ね焼のため偶然に生じた火襷ひだすきという現象を、表面を飾る意匠として積極的に用いるようになる。
緋襷一重口水指ひだすきひとえぐちみずさし 江戸時代・17世紀、高17.3╳口径14.7╳底径9.6cm、広田松繁氏寄贈、東京国立博物館蔵
 また伊賀焼いがやきでは、焼成中の降灰こうはいや歪み、割れを、「質朴しつぼくな力強さ」を表現するものとして、積極的に評価し、意識的な演出を試みるように。
耳付花入みみつきはないれ 江戸時代・17世紀、高28.6╳口径(8.8╳9.1)╳底径11.8~12.7cm、東京国立博物館蔵
 その果てに現れるのが、17世紀に入って美濃窯で焼かれる織部焼おりべやきだ。
黒織部沓形茶碗くろおりべくつがたちゃわん 銘 鶴太郎かくたろう 江戸時代・17世紀、高8.9╳口径(14.5╳11.6)╳底径6.4cm、松永安左エ門氏寄贈、東京国立博物館蔵
織部洲浜形手鉢おりべすはまがたてばち 江戸時代・17世紀、高17.7╳長径24.5╳短径22.0cm、蓑進氏寄贈、東京国立博物館蔵
 実は織部焼に新しい技術は使われていない。それまでと違うのは、既に出揃っていた複数の技術を組み合わせ、昇華させたところにある。たとえば黄瀬戸は灰釉かいゆう志野しの長石釉ちょうせきゆうと単独の釉薬を元に、その技術を革新することで、新しい焼物を生み出した。織部焼の場合、黄瀬戸で使われた銅緑釉どうりょくゆうの緑、長石釉の白、志野の系譜を引いた鉄絵などを複雑に組み合わせる一方、食器の造形は単調な円形だけでなく、州浜形、おうぎ松皮菱まつかわびしなど、中国にはない、日本独特の意匠いしょうが採り入れられた。さらに円や左右対称から外れた、歪みに興趣きょうしゅを感じる美意識が育ち、正統な「格」を逸脱する「破格」の精神が盛んに。桃山時代にいたって焼物の色を、意匠を、形を、爆発的に塗り替えていったのである。
※以上、画像はすべて国立博物館所蔵品統合検索システム より

橋本麻里(はしもと・まり)

日本美術を主な領域とするライター、エディター。公益財団法人永青文庫副館長。金沢工業大学客員教授。著書に『美術でたどる日本の歴史』全3巻(汐文社)、『京都で日本美術をみる[京都国立博物館]』(集英社クリエイティブ)、『変り兜 戦国のCOOL DESIGN』(新潮社)、共著に『SHUNGART』『原寸美術館 HOKUSAI100!』(共に小学館)、編著に『日本美術全集』第20巻(小学館)。ほか多数。

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